やあ、犬です!
毎日、同じ時間に起きて、同じ景色が流れる道を車で通勤し、同じデスクに座る。
そんな繰り返しの毎日の中で、ふと窓の外を眺めながら、「俺の人生、このままで本当にいいんだろうか…?」と、心がどんよりと曇ってしまうことはありませんか?
「仕事にやりがいを感じない」
「給料が安くて将来が不安」
「でも、自分には何もないし、転職なんて無理だ…」
その気持ち、痛いほどわかります。僕も、Fラン大学を卒業して入社した「定員割れ企業」で、同じような絶望を抱えながら、ただ時間だけが過ぎていくのを待っているような毎日を送っていました。
この記事では、そんな僕が「もうダメだ、本気でここから抜け出そう」と心を決めるに至った、忘れられない「3つの絶望の瞬間」について、当時の生々しい感情と共にお話しします。
もし、一つでも「あ、これ俺のことだ」と感じたら、それはあなたの人生が、次へ進むべきだと教えてくれているサインなのかもしれません。
絶望の瞬間①:薄っぺらい給与明細が、未来の重みに感じたとき
毎月25日。それは僕にとって喜びの日ではなく、現実を突きつけられる審判の日でした。
上司から手渡される、ペラペラの給与明細。同僚の目をごまかしながらそっと受け取り、昼休みに自分の車の中で、誰にも見られないように開くのが僕の儀式でした。
そこに書かれている「総支給額」は約20万円。しかし、希望の数字はそこから無慈悲に削り取られていきます。健康保険、厚生年金、雇用保険、住民税、所得税…。まるで、自分の労働が罰せられているかのように数字は減っていき、最終的に手元に残る「差引支給額」は、15万円ちょっと。
「今月の手取りも、これか…」
結婚? 無理だ。こんな給料で誰かを幸せにできるはずがない。
車を買う? 中古の軽が限界か…。友達は新しいSUVに乗っていたな。
家を建てる? 夢のまた夢だ。一生この実家から出られないのかもしれない。
何年働いても、昇給は年に数千円。この会社に人生を捧げた結果がこれか…と、薄っぺらい一枚の紙が、僕の未来の可能性をすべて奪い去っていくような、鉛のような重みに感じられました。
絶望の瞬間②:「10年後の自分」の姿に、声が出なくなったとき
会社には、勤続15年のA先輩がいました。口数は少ないですが、決して悪い人ではありません。ただ、その瞳には何の輝きもありませんでした。
ある日の昼休み、僕は見てしまったんです。会社の休憩室で、スマホのパズルゲームをしながら、深い深いため息をつくA先輩の姿を。その口から漏れた「あーあ、宝くじでも当たんねえかな…」という独り言が、やけにリアルに僕の耳に響きました。
その背中から聞こえてくる心の声は、いつも僕が感じているものと同じでした。「今日も仕事つまんねえな」「早く週末にならないかな」。
その瞬間、雷に打たれたような衝撃が走りました。「この人の姿が、俺の10年後の未来だ」と。
A先輩は悪い人じゃない。むしろ、いい人だ。だからこそ、辛い。この「いい人」が、この会社で15年間真面目に働いた結果が、これなのか? 覇気のない目でスマホをいじり、宝くじにしか夢を見いだせない中年になるのか?
尊敬できる上司や、目標にしたい先輩が一人もいない。この会社でキャリアを積んだ先に、輝く未来はない。ロールモデルの不在は、僕がこの場所にいてはいけないという、何より雄弁な証拠でした。
絶望の瞬間③:「改善提案」という言葉を、飲み込んだとき
僕のいた会社は、とにかく昔ながらのやり方を変えない、非効率な業務の巣窟でした。
特に苦痛だったのが、毎月末の報告書作成。それは、別々のExcelファイルに散らばったデータを、一つの紙のフォーマットにひたすら手で書き写し、それをスキャンしてPDF化し、部長にメールで送る、という今思えば狂気のような儀式でした。
ある時、僕は数時間かけて、その作業を自動化する簡単なマクロを独学で組みました。これを使えば、2時間かかっていた作業がたったの3分で終わる。僕は震える手で、課長に「このやり方なら、もっと効率化できます」と提案しかけたことがあります。
でも、言えなかった。僕の言葉を遮るように、課長がこう言ったからです。「お、犬くん、報告書まだ? いつものやり方で、ちゃんと手で書いてるんだろうな? その方が気持ちがこもるからな」。
周りの先輩たちも、クスクスと笑っている。僕の口から出たのは「…はい、今やります」という、情けない一言だけでした。その夜、僕は家で一人、作ったマクロをPCのゴミ箱にドラッグしました。
自分のスキルを活かすことも、業務を改善する喜びも、ここにはない。むしろ、そういう「やる気」は組織の輪を乱す悪とされている。成長を諦め、思考停止で従順でいることこそが正義。その事実を突きつけられたとき、僕の心は完全に死んでしまいました。
そして、絶望が「覚悟」に変わった日
給料、人間関係、仕事内容…僕が感じた3つの絶望。あなたにも、思い当たる節があったのではないでしょうか。
その日の帰り道、僕はいつものように車を運転していました。でも、何かが違った。涙が、わけもなく溢れてきたんです。悔しくて、情けなくて、自分の未来が真っ暗に思えて。
でも、涙が枯れたとき、心の中に、小さな炎が灯るのを感じました。
「もう、誰かのせいにするのはやめよう」
「環境に文句を言って、何かが変わったか?」
「この状況を作ったのは、行動してこなかった自分自身だ。だったら、自分の手で変えるしかないじゃないか」
絶望のどん底で、僕は初めて「覚悟」を決めました。それは、現状をただ嘆くのではなく、自らの意思で未来を切り拓くという、静かで力強い決意でした。
絶望は「終わり」じゃない、「始まり」の合図だ
もしあなたが、かつての僕と同じように「絶望」を感じているなら。それは決して、あなたがダメな人間だからではありません。
それは、あなたの心が「もうこんな人生は嫌だ!」「もっと良くなりたい!」と叫んでいる、健全なサインだからです。現状に満足していたら、そんな叫びは聞こえてきません。
僕はこの絶望を燃料にして、「とにかく行動しよう」と決めました。何から始めればいいか分からなかったけど、とにかく最初の小さな一歩を踏み出したんです。
【次のステップ】
その「最初の小さな一歩」は、転職サイトに登録することでも、企業に応募することでもありませんでした。
僕がやったのは、転職のプロに、今のどうしようもない気持ちをただ聞いてもらうこと。それだけでした。
その一歩が、僕の人生を大きく変えるきっかけになったんです。